【問1解説】
1941年の英国はドイツとの戦争でまさに苦境にあり、国を挙げて英国本土の防衛に当たっていた。その英国の戦争遂行能力はアメリカの支援に大きく依存しており、多くの商船が大西洋を行き来して物資を運んだ。英国商船ポリティシャン(SS Politician)号もその一隻であった。
1923年の進水。発注した海運会社ファーネス・ウィシィ社(Furness Withy & Co.)はこの船をロンドン・マーチャント(London Merchant)と命名したが、1935年にトーマス・ジェームス・ハリソン社に売却され、新しい船主は船名をポリティシャンに変更した。蒸気タービンで駆動されるこの8,000トンの貨物船は14ノットを出すことが出来た。
第2次世界大戦の真っ只中の1941年2月3日、ポリティシャン号は荷物を満載してリバプールを出港した。積荷は、綿、鉈、モーター・バイクの車輪、石油ストーブ、タバコ、石鹸、医薬等々種々雑多であったが、当時は貴重品だった22,000*ダースのスコッチ・ウイスキーが含まれていた。積まれたスコッチ・ウイスキーの銘柄は ジョニー・ウォーカー、バランタイン、ブキャナン、ホワイト・ホース、スペイ・ロイヤル、ヘイグ等トップクラスのウイスキーであった。
既にイギリス周辺の海域はドイツのUボートによって支配されていた。アメリカのニューヨーク、ニューオリンズ、そしてジャマイカを目指したポリティシャン号は、Uボートを避けるため通常の南下コースではなく、イギリスとアイルランドの間のアイルランド海、そしてヘブリディーズ諸島最南端のアイラ島からミンチ海峡を北上するコースを取っていた。
そのミンチ海峡に入ったのが2月4日で、船はそのまま北上したが冬の嵐に遭い、2月5日の未明、アウターヘブリディーズのエリスケイ島沖で座礁。船体は二つに割れてしまった。明け方、それに気付いたエリスケイの島民によって乗組員は無事救助された。
この事故の実話を基に描いた映画(日本で2018年2月17日公開)が「ウイスキーと2人の花嫁」で、原作は英国人作家コンプトン・マッケンジーが1947年に発表した小説「Whisky Galore」。1949年に初映画化され、名作として多くの人々から愛され続けてきた。待望のリメイクとなる本作は、少年時代からオリジナル版のリメイクを夢見ていた1人のプロデューサーの熱意により10年の歳月をかけて製作された作品である。SSポリティシャン号に乗船していた士官候補生や座礁した船をいち早く発見した人物など、事件を直接知る人々への丁寧な取材に時間を費やし、まるでウイスキーを熟成させるかのように完成された。全編スコットランドでロケが敢行され、当時の面影を残す17世紀に建てられた歴史的建造物など、スコットランドの名所をはじめとした貴重なロケーション撮影による美しい映像にも注目です。
ポリティシャン号(SS Politician)
参考:稲富博士のスコッチノート(写真出典)
【問7解説】
スペイサイドで最も古い蒸留所のひとつであるカードゥは、1811年にジョン・カミングとその妻ヘレンが農場としてスタートしました。彼らはすぐに違法なウイスキーの製造を開始しましたが、調査によると運営を担当していたのはヘレンだったようで、グレン・リベットの密造者たちのための早期警戒所として農場を運営していました。1823年に税法が制定され、カードゥ蒸留所はライセンスを取得した最初の蒸留所の一つとなりました。その後、ヘレンの娘婿エリザベスは、1872年に操業を開始し、1884年には原始的な設備を完全に再構築し、古いスチルと水車をダフタウンにグレンフィディックと呼ばれる家族経営の蒸溜所を建設しようとしていたウィリアム・グラントに売却しました。その頃、カードゥはブレンダーたちのお気に入りとしての地位を確立していましたが、1888年には早くもロンドンでシングルモルトとして販売されていました。
そして、1893年にカードゥはJohn Walker & Sons社に売却されました。
現在、カードゥはジョニーウォーカーの「ホーム」として、印象的なビジターセンターを備えており、シングルモルトのボトリングも再び増加しています。2018年、ディアジオ社は1億5000万ポンドを投じてスコットランド全土の観光施設をアップグレードする計画を明らかにしました。その中には、カードゥのビジターセンターの改善が含まれています。
写真出典:Whisky.com
引用:Dear WHISKY